◆政治
ピアノの発明者はイタリアの、バルトロメオ・クリストフォリ。この楽器の正式名は「グラーベ・チェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ」→「弱い音から強い音まで自由に表現できる大型のチェンバロ」という意味。 残念なことに再生処理(改悪)を施され、音の命の共鳴板を戦後、新しい物に替えられてしまったので、本当のオリジナルトーンをこの楽器から聴くことが、もう出来ない。 この第1号器は名前とは裏腹に、大型のチェンバロより音が小さかったと記録されている。しかし、このハンマーアクションの発明により、鍵盤楽器奏者は、心のままに、強弱のニュアンスを表現することが鍵盤楽器でも許されることっとなった、歴史的な発明の証拠の品でもある。 S.バッハはその生涯で1曲もピアノのための曲を作曲していない。バッハは晩年、彼自身の愛用していたスピネットの製作者でもある、ジルバーマン製作の2台のフォルテピアノを試弾しているが、彼は気に入らなかった。
その楽器は上記のイタリアのクリストフォリ製作の楽器と構造・アクションも変わらない物であったが、キーが重くて高音部の音が汚かった。
高音部の弱点は当時のハンマーは低音部~高音部まで全く同じ大きさであり、しかも弦を叩く位置が(チェンバロのボディーそのままの代用のため)今の音響学からすると間違った場所で弦を叩いていおり、高音部のハンマーには、鹿革も張ってなく、木が裸のままで弦を叩いたので、バッハはその音を生理的に受け入れられ無かったようだ。
バッハの指摘に一時激怒したジルバーマンではあったが、反省し、非を認めて改造し、最後にはバッハの賞賛を得たと記録のは残る。(バッハの弾いたジルバーマンのフォルテピアノは第二次大戦まで、ポツダムのサン・スー・シー宮殿にあったが、大火で消失してしまった。代わりに1746年製の同型のフォルテピアノが現在展示してある。)
・モーツアルトのフォルテピアノ J.A.シュタイン A.ワルター
(モーツアルトの弾いたA.ワルターのフォルテピアには現存している。特注のペダルピアノ(足鍵盤)は消失し、アクション等も改変されているが当時イタリアのモーツアルトの子孫より生誕100年を記念してザルツブルグ:モーツアルト記念博物館へ寄贈された)
幼少のモーツアルトはまず、クラヴィコード(チェンバロの歴史参照)を使い、5歳でデビューしたときはチェンバロを弾いた。青年モーツアルトはその演奏旅行の途中でついでに寄った、マンハイムのシュタインの工房を訪れ、その驚きを手紙に記している。
ウィーン在住時、、まだピアノのもてなかったモーツアルトはツウーン伯爵夫人所有のシュタイン製のものを借りて演奏したが、アクションが旧式の物だったため、あまり気に入らなかった。彼がフォルテピアノを手に入れたのは1781年製のワルターの中古の楽器だった。
ワルター製はシュタイン製作のものと比べると、幾分音が暗く、陰影に富んだ音がする。それは、エスケープメントの軸受けが、シュタイン製作の物は鍵盤に対して垂直なのに対して、ワルターの物は幾分角度がつけてあり、より抵抗を感じるようになっていた。
モーツアルトが経済的な理由もあったが、シュタイン製作の物でなくワルター製作の楽器を購入したことは特筆に値する。モーツアルトのその楽器には、ペダルが無く、手操作でダンパーを調整して音の伸ばし具合を調整するものだった。
当時、左手の一番低い音は楽譜より長めにのばして弾くことが普通だったので、あまり困らず、代わりにパイプオルガンの練習用にと、足鍵盤に当たるペダル鍵盤を特注して、その上に、ワルターの楽器を載せていたが、このペダル鍵盤は後に消失、その後イタリア・ミラノの子孫によってワルターは膝ペダルに改造され、アクションもシュタインタイプに変更されたが、歴史的な公証によって、アクションはオリジナルの物と同型に戻されて、現在はザルツブルグに展示されている。
楽聖ベートーヴェンは最初はやはりクラヴィコードで練習し、スクウェアーピアノで本格的なピアニストとしての練習が始まった。彼はその生涯に使ったピアノはその過渡期のため1台1台が構造・音域共に違い、全て貴族や製作者からの寄贈品だった。
・ベートーベンが寄贈されて使用したピアノ
シュタインまたはワルター製/5オクターブ/木製フレーム/膝ペダル式
エラール 1803年製造(ロンドン)/5オクターブと4度/鉄板補強/足ペダル2
ブロードウッド1827年製(ロンドン)/6オクターブ/鉄板補強/足ペダル2
シュトライヒャー1823年製(ウィーン)/6オクターブ/鉄板補強/足ペダル4
グラーフ1825年製(ウィーン)/6オクターブと4度/総木製 4本弦/足ペダル
他に壊れてしまったスクウェアーピアノを(プレイエル製)を生涯持っており、もっぱら机代わりにしていたとの記述もある。
ベートーヴェンはその寄贈されたピアノの音域を最大限に活用した。「悲愴」「月光」ソナタは5オクターブのシュタインと音域が一致。「ワルトシュタイン」は5オクターブと4度のエラールの音域を全て使い、「熱情」は6オクターブのブロードウッドを、「ハンマークラヴィア」は第一楽章は6オクターブのシュトライヒャーで作曲し、最後の楽章は、同じ6オクターブでも音域の違う(最低音がC(ド)からかF(ファ)から始まるか)ブロードウッドで作曲された。彼の死後、このピアノは一時F・リストが所有。現在はブダペストの博物館に所有され、A・シフがこのピアノで演奏したCD:ベートーベンのバガテル集も発売されている。
・19世紀のロマン派のピアノ音楽は エラール・プレイエル フランス製のピアノからベートーヴェン・シューマンの愛用した、そしてショパンのウィーンデビューに使用されたグラーフのピアノは1840年その輝かしい歴史に終止符を打った。
フランス革命以後はロンドンのフロードウッドが全盛時代を迎え、共和制樹立のフランスでは1830年頃からはパリのメーカー、エラール・プレイエルの時代となった。セバスティアン・エラールは1780年創業の現存する最古のメーカーで、ベートーヴェン・リスト・ショパンそして、M・ラベルらが愛用したメーカーで、その甥ピエール・エラールの天才的な数々の発明により、その地位を不動のものとした。19世紀の半ばには「私のエラール」といえば、ピアノとわかるぐらいに浸透し、「ピアノ」の第2義語として「エラール」が使われるまでになった。
イグナース・プレイエルは初め、作曲家兼ピアニストとして活躍した人で、1807年からピアノ製作を開始、初めは小型のピアノを製作していた。その子カミユがショパンに気にいられてからは、その意見を採り入れて、積極的に改造し、銀色の美しい伸びのあるシンギングトーンを持つ、すばらしいピアノを製作するようになった。
他の19世紀フランス製としては、プレイエルの工場から独立したパぺが有名であるが、奇才煥発の発名人で120のパテントを取ったりしたが、その晩年は円形や6角形等の変なピアノを作り出し、一時のパリで一番の工場をもっていたのが、人気を落とし閉鎖、晩年は哀れ貧乏人で終わってしまっている。
・ロトリアン・スタインヴィヒの名は1835年創業のH・E・スタインヴィッヒ(後のスタインウェー)
アメリカに移民するに際して、弟子のグロトリアンに工場を売却した事に由来する。
1850年長男のテオドールを残して、アメリカに移民1853年ニューヨークでスタインウェー&サンズとして創業。ヘンリーの亡き後、テオドールもアメリカに移民し、その際ジーセンの工場をグロトリアンに売却しグロトリアン・スタインヴィッヒとなった。
女流ピアニストのクララ・シューマンのピアノとしても有名でテオドールの数々のアイディア、交差X型支柱・バイオリン型共鳴板等、特にアップライトは工夫を凝らしたピアノだったが、1880年にドイツ・ハンブルグにスタインウェーの工場が建設されると、その後100年にも渡って、スタインウェー社との特許・名称争いで敗れ全て設計変更。名称もヨーロッパ以外では「グロトリアン」とすることと、テオドール・スタインウェー設計による、倍音の豊かな、世界一のアップライトと言われたその音は失われてしまった。2000年代に入ると、経営危機が起こり、グロトリアン家の一族が今は経営から離れてしまっている。
1849年リーグニッツ(ポーランド名:レグニーサ)で創業のED・ザイラーは創業時よりケースデザイナーを有す珍しいピアノ会社で、代々ザイラー家に引き継がれている。
再三の戦禍で国籍がドイツ・オーストリア・ポーランドと代わり、繊細な象眼や彫刻の施されたアップライトピアノと半円形の小型グランドピアノ製造された。 第2次大戦後は工場を没収され、一時はデンマーク・コペンハーゲンへ移転。その後、南ドイツのキッチンゲンに移し現在に至る。ポーランド工場時代はハンブルグ・スタインウェーのハンマーを委託生産する程だったが、移転後は ショパンの祖国ポーランドの名器を名乗れなくなり、輸入が減った。 国営企業となったチェコのペトロフは、かつてはボヘミアのベーセンドルファーとまで言われた名器だった。第二次大戦後の争乱、社会主義国家と自由を失い、生産性(ノルマ)を上げるためいまは、他社製品のOEM工場化してしまった。「ホフマン」 「アウグスト・フォルスター」「リーガー・クロス」等の他社製品の部品組み立て工場と化した。 同じくチェコのゲオルクバルトに創業し、スデーデン地方屈指のメーカーだったが、大戦後はドレスデンに移り、東ドイツの公団に属したアウグスト・フォルスターは88年東西の壁崩壊で自由を取り戻し、代々のフォルスター家に工場が返された。現在はドイツ・チェコ・中国工場があり生産数を上げている。 ※ピアノ産業というのは、木材・金属の加工からエージング(寝かす)時間が多く、資本の回収に時間がかかり、その割には儲からない商売である。 投資家たちにその存在の必要性・良さを理解できず、利益優先となり、韓国・中国(その部品をインドネシアへ運び組たてる)のOEM生産化し、国籍不明の似た音のピアノが現在・世界的に流通しつつある。新品(国産)を含めてピアノを買われる時には十分注意されたい。